私は、虹の会の会員の一人で東京の障害児学級(東京都では心身障害学級と
いいます。だから略して心障学級)の担任をしています。 障害者教育(かっては障害児教育といっていました。今は「児」だけではなく、成 人の社会教育、生涯教育まで含めて「障害者教育」と呼ぶことも増えているよう です。文部省の法令用語ではあいかわらずまだ「特殊教育」ですが。)に教員とし て携わって10年目。「障害」のある子(「ハンディのある子」という言い方の方がニ ュアンス的にはやわらかいかなぁ)の「教育」(かぎかっこをつけたのは、一応学 校という場で行われる営みとしての「教育」と押さえたいためです。)を、現場にい る教員の目から改めて考えてみたいと思うのです。 昨年度、一年生が五名学級に入ることになり、それに伴い学級増となり、担任 が一名増えました。その一名が普通学汲の担任だった58歳女性で、結局その 方と担任を組んだのですが、連絡帳は書いてくれない、(丁重に何回もお願いし たのですが、そのたびに「私が書くより先生が書かれた方が…」とか「甘えている のはわかっているのですが…」と涙ぐまれたりしまして)通知表も最初だからとい うことで下書きを一応作って「これを参考にして書いて下さい」といったら、それを 全部丸写しされたり…、と、そんなスタートでした。 まあそれでも私の介添員ぐらいのことだったら、大きな問題にはならなかった のでしょうが、その人との精神的ストレスからもう一人の担任が十月から病気休 暇となってしまいました。 代わりの講師はとれず、一応担任ですから彼女に授業をやってもらうことにし たら、これがヒドい。まわりの介添員さんが一生懸命やっても、それでも授業はボ ロボロで、親が文句を言い出す始末。 一番の大事件は、研究授業が始まる時間の直前に子どもを行方不明にしてし まったこと。私にも責任がどーんとかぶってきて、もちろん行方不明になったのは 事実ですから(一時間半後無事見つかりましたが)当然責任はありますが、個人 的には「三十分もその子と一対一でついていて、その場所に連れて来て、それで 行方不明にさせるか」という思いでありました。結局、臨時保護者会などやること になり大変でした。 その後、保護者の授業参観、連日の見学、と続き、一方で、「どうやら普通学 級で指導力がない、ということで以前いろいろ問題を起こされた方だ」という事実 が情報としてボロボロ出てきて、「やはりそうだったか」という感じでした。
るも、進展はせず、結局は私が本人と話をすることになったのです。 「心障学級はむかないと思うよ」という話をする中で、本人が「人間相手の仕事 はストレスを強く感じる」というので「それなら命を縮めてまでやる仕事じゃないん だから、やめるというのも手なんじゃないか」という話をしたら、その日の夜校長 に本人から「やめます」という電話が。 が、それですんなりというわけではなく、退職届を出してからも、自分の身体が 回復してくると共に、「やめたくない」「校長にやめろといわれた」と言い始め、組 合にもなきついてきました。 そして嘱託者希望の面接まで終わっていた2月中旬に、再び「やめたくない」と 校長のところへ。 私は出張していたのですが出張先へ校長から電話がかかってきて「やめたくな いとごねている。やめないということではあとは学級に残るしかない」というので 「それは困る」と私。校長が「すぐ学校へ戻って来て欲しい」と言うので学校へ戻 ると、「今、本人をよぶから同席していて欲しい」とのこと。本人と3者で話し合うこ とに。 校長が「私にも高橋先生にもあなたをやめさせる権限はないんですよ」と言い つつ、「嘱託希望も尊重したし、面接のお礼の電話をかけてくれといわれてかけ たし、退職にあたって特進の書類も私も書いたし、ここでやめないといわれても 事務的にはどんどんすすんでいる」と話す。本人は「どうもすみません。(やって いただいたのは)ありがとうございます、感謝しています」をくりかえすのみ。 私の「で、先生やめたくないんですか」の問いに「はい」と彼女は答える。 これはさすがにもうはっきり言った方がいいなと思い「じゃぁ、明日から授業しな さいよ。私が一週間休むからその間学級を切り盛りしなさいよ、先生にできます か?」「できません」「そうでしょう、でもそれが担任の仕事なんだよ。先生みたい な方がいると迷惑なんだよ。こういうことだから心障教育がなめられるんだよ。僕 のせいでやめさせられたと思ってもらっていいし、訴訟を起こされてもいいです よ。僕はそれが先生のためだと思っているから」と、とうとう面と向かって言いまし た。 最後に「僕は先生の大人としての対応を期待しているから」といって一時間あま りの話を終わりにしたのですが、本人は次の日校長に「やっばりやめます」といっ てきて、ようやく決着がついた次第です。 さて、ここで考えたいのは「教師の専門性」ということです。障害児学級の担任 の中には、@通常学級で学校経営や人間関係などの悩みから自信喪失になり、 逃避的に障害児学級へくる。A心障学級の方が遊んでいてラクそうだ、と言う理 由でくる。B手当てが増えるから、という理由でくる。C通常学級が過員(児童生 徒数の減少に伴い、先生の数を削らなければならない)で生き場のない教員を 障害児学級へ回す。D通常学級で指導力のない教員を複数担任ということで回 す(東京は基本的には学級数+1=担任数で複数担任制です)、などの理由で 担任になっているケースが多くあります。 このようなことは「教師の専門性」以前の問題です。 以前、埼玉の保護者の方が「就学する場は養護学校でも障害児学級でも通常 学級でも、そこに熱心な先生がいるかどうか、だ」ということを雑誌に書かれてい ました。 たしかにその通りだと思います。 しかし一方で「熱意があって技術のない先生は体罰に走る」ということもあり、 障害に対する理解や障害者教育の方法論はある程度身に付けておかないとい けない気がします。 「通常の教育に対して障害者教育はまだまだ低くみられている」というのが実感 です。 力量のある先生をしっかり障害者教育にあてる、優先課題としてとりくむ、とい うためにも、教育委員会などにはきちんと文句を言い、現場から発言をどんどん していく必要を感じています。 と同時に、「やる気のない者はいらない」ということも声を大にしていっていきた いと思っています(で、こうやって書くだけでなくちゃんと実行にうつしていますか ら、みなさんも、それぞれの場所でがんばりましょう)。
高橋浩平 38歳、二児の父。文中にあるように東京の障害児学級の先生。教育関係の取り組みが薄い虹の会、機関紙も教育色・先生色の薄いSSC「にじ」において、新たな台風の目になるのか?。ご意見・ご批判・ご非難なんでもござれ!といった感じなのでみなさんよろしく!(以上、佐藤&ぶ組より激励)
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