今年も6月が来ましたね。
6月ってただでさえ梅雨でジメジメしていて気分が晴れないのに、夏生(なつお)が生 まれてからは、また違う意味で、私にとって複雑な気持ちになる月なのです。 6月26日は、夏生の誕生日です。 普通誕生日というとお祝いの日ですよね。夏生も毎年写真を撮って、家族でケーキを
でも、私はお祝いをしながら、複雑な気持ちでした。 本当なら、誕生日は9月のはず。 何の出産準備もしないまま、6月に入ったら出血 し、陣痛のような定期的な痛みが始まって、入院し、手術をし、出来る限りのことはした
確かに、死んでしまったと思った子どもが、重い障害をもちながらも、何とか一命を取
しかし、一命を取り留めたとはいえ、いつ死んでしまうかもしれない緊張した日が、ず っと続きました。 生まれた日も、一命を取り留めたと聞いたときは、嬉しくて泣きましたが、その瞬間に
とてもお祝いどころではありません。 そんなわけで、誕生日というよりは、とうとう生まれてしまった「残念な日」という印象 が強いのです。 入院して、「今日も何とか生まれないでいてくれた」と、一日一日過ごしていたので、な
まあ、何とかまた一年、生きていてくれた、という日でもあるので、複雑な気持ちにな るのです。 その後も、6月にはあまり良いことはありませんでした。 2歳の誕生日は胃食道逆流症の手術のため入院。 3歳の誕生日も、私が娘を妊娠したので妊娠悪阻になり、夏生の健康管理ができず に、脱水と肺炎で入院していました。 4歳の誕生日には、本当は体調が良かったのに、扁桃腺が腫れていて、長男のおた
年6月に行われるので、一度も出席できなかった。出席したかったなぁ。)も、お休み し、外出できずにいました(結局うつらなかった)。
でもたった一度、嬉しい誕生日がありました。それは、一歳の時のことです。
ひきつった笑顔ではありますが、一生笑顔は見られないかもしれないと思っていたの
夏生よりも私のほうが、顔を赤くして嬉しそうにしている写真が残っています。 同じ通園施設に何年か前一緒に通っていたお友だちがいます。 その方の息子さんは、一歳で亡くなってしまいました。 その亡くなった息子さんをはさんで二人の姉妹がいるのですが、その方は、いまでも 亡くなった息子さんの誕生日にはひとつだけケーキを買って、仏壇にあげてあげるの だと言っていました。 けれど、私は、夏生が死んだ昨年の誕生日には何のお祝いもしませんでした。 そして今年もきっと。 でも、お祝いしたはうが夏生は喜ぶかなぁ。 でも、あの日に生まれなければ、夏生は今でも元気に走り回っていたはずなんだも の。
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