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なつおと一緒! 第1回

ライター 宇田川<広島>和美
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 二男、夏生(なつお)は、856グラムの超未熟児、重症仮死状態で出生しました。 

  そのため、精神発達遅滞(最重度)、脳性麻痺による上肢・下肢及び体幹の機能障

害(1種1級)、難聴(中度)、嚥下協調障害という重い障害を持ちました。 

 残念ながら、1997年(平成9年)4月19日に4歳9ヶ月で亡くなってしまいました。 

 その4年9ヶ月、ともに歩んできて感じたこと、思ったこと、楽しかったこと、辛かったこ

と、いろんなことをこれから書いていきたいと思います。 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 埼玉県立小児医療センターを退院したのは、夏生が5ヶ月になろうとしているときでし

た。退院の日、病院から「保健所に連絡しておいたので、お宅に保健婦さんが行くと思

います。」 

 「病院と家庭では違うので、いろいろと相談にのってくれる」というようなことでした。 

  その後、なかなか連絡が来なかったのですが、退院から2ヶ月半たった頃、「やっと

」、きてくれることになりました。 

 胃食道逆流症(赤ちゃんがよく吐くのと同様で、胃に入ったものが出てきてしまう症

状。あかちゃんは胃の入り口の形が吐かない形になっていくのだが、夏生は必要な栄

養がとれず、後に手術することになる)ため、ベッドの頭のほうを少し高くして斜めにし

なければならないのに、どうもうまくいかないこととか、家族の風邪の予防のこととか、

いろいろと聞きたいこともあったので、とても楽しみにしていました。 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 実習生一人を連れて、保健婦さんはやってきました。リハビリテーション科でやってい

ることなどの話をしました。長男がいたからか、育児一般については「わかっています

ね。」と誉められました。そしてその後、保健婦さんは、「なんでもっと気をつけなかった

の?」と言いました。 

 妊娠のことです。長男を出産して、一度生理がきたものの、周期が安定していなかっ

たので妊娠してしまったのが夏生でした。 

 予定日でさえ、1年ちょっとしか離れていませんでした。実際には7ヶ月で早産してし

まったので、9ヶ月しか離れていません。 

 すぐに妊娠すると、身体にかなりの負担がかかるという話は病院の退院指導の時に

も言われていました。私自身、出産したら働こうとも思っていました。 

 一方で、日本一の子宝から母さんをめざしたいと思いっていたので、確かにあまり妊

娠に気をつけていませんでした。 

 そう私が悪い。 
 

 長男は神経質で、毎日1〜2時間おんぶして寝かせたり、だっこもよくしていました。

私はそのせいで早産になったと思っていました。 

 お医者さんは、夏生が生まれたとき、「子宮頸管無力症(流・早産しやすい体質)かも

しれないが、次の子を妊娠しないとわからない」と言っていました。 

 私はその時は、長男が普通に生まれたので、身体の無理がたたったと半ば信じてい

ました(後に子宮頸管無力症であることがわかる)。 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 夏生がお腹にいて、切迫早産かもしれないとわかったとき、一度は帰宅したものの、

病院に連絡してすぐに入院させてもらいました。 

 「室内安静」でもお腹の張りがおさまらず「絶対安静」となり、食事も横になったまま食

べさせてもらいました。お医者さんが「手術(子宮口を縛って早産を防ぐ、子宮頸管縫

縮術)をするとしても月曜日だから」と言っていたのですが、身体の状態が悪く、前の水

曜日に早まりました。 
 
 できる限りのことはしたのです。 

 それでも早産になってしまったのです。 
 

 1日1〜2回、お腹の張りと胎児の心音を見るモニターをつけていたのですが、夜

中、へその緒が折れ曲がって血流を圧迫してしまい、仮死になってしまいました。その

時も、変な腰の痛みにナースコールを押して、助産婦さんに湿布をもらったり、様子を

見に来てもらったり、やれるだけのことはやったと思うんだけどね。 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 生命の危機はまだあるものの、何とか一命を取りとめ、重い障害を持ちながらも、何

とか退院してこれから頑張っていこう、一日でも一秒でも長く一緒に生活していこう!− 。 

 そんなとき、援助してくれると思っていた保健婦さんに、「なんでもっと気をつけなかっ

たの?」と言われて、私は何も言えなくなってしまいました。その後2〜3日は、何も考

えられなくて、ボーッと過ごしていました。 

 「私、頑張ったんだけどな。」といいわけをしながら…。 

 通園施設の元気なお母さん達も、子どもの障害がわかったときは、泣き暮らしていた

人がほとんどです。そんな人にもそんな言葉をかけるのでしょうか。 

 私だっていろいろ頑張ったし、「仮死になったのは私のせいではない」と思っているの

で、落ち込んだ訳ではないのですが、本当にびっくりしてしまいました。 
 

 保健婦さんにそう言われた後、気を取り直して、家族の風邪の予防について聞くと、

「うがいはどうしているの?水とか、お湯とか」と言うので、「水です」と言うと、「うがい薬

じゃないと駄目なのよ」と勝ち誇ったように言われてしまいました。 

 「あ、うがい薬は入れますけど」と、一応力無く答えました。 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 それから保健婦さんには来てほしくないな、と思っていたのですが、通園施設に1歳

で入園「したとき、先生が保健婦さんに連絡してくれるということになってしまいました。

幸い、その後来てくれた方たちは優しくて、ホッとしました。 
 

 最初は、「地域で様子を気にかけてくれる人がいる」ということだけで、とても安心した

気持ちになっていました。でも保健婦さんは、来て、体重を計り、リハビリの様子を聞い

て帰るだけでした。体重や栄養については、すべて主治医が管理していたし、リハビリ

を病院で定期的に行っていたので、私は家庭での工夫について聞きたかったのです。 

 でも私の質問について花にも答えてくれず、私が工夫してつくったものに感心するだ

け。子どもがかかりやすいロタウイルスも知らない。保健所などの窓口の制度について

も「いい制度があるんですねぇ」と感心する始末。 

 訪問指導って、いったい何だったのかなぁ、と思います。  (つづく)